切迫早産と診断されて一ヵ月も入院を拒み続けた私の反省

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一か月も入院を拒み続けた私。はじまってしまった入院生活を24時間点滴と一緒に過ごしていました。

用意した暇つぶしグッツをつぶす毎日となった。点滴がジャマで寝返りさえも億劫だ。

同室の先住民の方々は私より妊婦先輩で、お腹の大きさが半端ない。一日のほとんどをベットの上で横たわって生活し、たまに点滴を連れてカラカラいわせながらトイレへ行くだけである。

この時私はまだ妊娠23週。同室の先住民の妊婦さんの様子をマジマジとみていた。(もちろんこっそり)

お腹の巨大な妊婦先輩達は、やさしくお腹を何度もナデナデしてて、放つオーラが美しく見えました。すでに母親の風格がありました。

みんな赤ちゃんを守りたいんだ。赤ちゃんに会いたいんだ。

先輩妊婦さんを見ていると、一か月も入院を拒んでいた自分が恥ずかしく感じてしまった。

切迫早産というハズレくじ

幸せじゃないママ
この時幸せじゃないママ

運が悪かった

妊娠週数がまだまだの私は、入院して四日目でもなぜ自分ばかりがこんな思いをしなくてはいけないんだと自分の運の無さを嘆いていた。

この時点ではまだ、「運が悪かった」と思っていた。

たしかに切迫早産の原因を調べるとはっきりした答えはどこにも載っていない。

でも、体質であったり、無理な生活を送る事が原因、と多くのサイトで書かれていた。

「妊娠」という大当たりの中の「切迫早産」という格下のクジを引き当てた、そんな気持ちでいたのだ。

あくまで私は悪くないという前提のもと、残業ばかりさせる会社や、通勤時間の長さと、電車の優先席で妊婦に席を譲ってくれなかった人たちを恨んでいた。

オカンも、私の旦那に向かって、「丈夫な子じゃなくてゴメンネ」なんて言ってたけど、切迫早産と診断されても一か月も入院を拒んでいたのは私なのに。ただただ運が無かったんだと思ってしまっていた。

赤ちゃんがお腹に居るのに、くじ引きで「切迫早産」を引き当てたかのような言い草だった。

はずれクジを引いてしまったのはこんな私を選んだ旦那だったんだ。

私を選んだ はずれくじ

赤ちゃんを守るんだ!という気持ちが欠けていた

幸せママ
幸せママ

おそらく「妊婦様」になっていました。

妊娠が分かった時、愛おしい人の赤ちゃんがお腹の中に居る事が嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

youtubeで妊娠するまでの神秘を見て、私のお腹の中で起こった哺乳類としての奇跡に驚いた。

新生児用の靴下を見て、こんなにも小さい足なのか!とビックリした。

大好きな人の赤ちゃんがお腹に宿った、という奇跡に感動しておいて

妊娠が分かった時、私と同じ感情のある人間を自分が生み出すという不思議を感じ、元気な子を産む!という使命感を、妊娠が分かった瞬間抱いたのに。

結局産むまで、命の重みを私は知らなかった。知ったつもりでいた。

切迫早産と診断されてからの私は、自分の事ばかり、お腹の中の赤ちゃんより自分が可愛いかった。

デキちゃった婚だからなのか?

私と旦那は、付き合って四年目に突入しようとしていた時に、お互いの親に結婚の許しをもらった矢先に妊娠発覚。

私たちは、よくある夫婦の

結婚して数年、そろそろ赤ちゃん作ろうかー

って感じでもないし、

不妊治療して、やっと宿った命

というわけでもない。

当時34歳だった私に、妊娠出来るかどうかの不安もあり、赤ちゃんデキたらいいなーと思ったら結婚する前にアッサリ出来てしまった、デキちゃった婚というより作っちゃった婚なんです。

それが、お腹の赤ちゃんを大切にしようという危機管理が欠落していた理由なのだろうか。

働き盛りの30代の妊娠と自分に対する過信

30代前半といえば、職場では部下がいて、仕事を任される立場となり、会社愛も旺盛でした。

それが、「妊娠・結婚」という人生の分岐点に到達した時、180度変化する自分の生活に恐怖を感じていました。

デキちゃった婚である私は、ある日突然、主婦という牢獄に投げ出される恐怖に怯えていたんです。

稼いだお金が自由に使え、会社からも期待され、週末は趣味と彼氏との時間。

結婚願望が無かったので、老後の為の貯金を始めなくては~と軽く思っていた矢先でした。

ザックリとした自分の人生設計は、「妊娠」によって崩れ、「切迫早産」により、自宅安静を強いられ、会社での私の役割は、ほかの誰かに渡りました。

腫れものを触るような会社の仲間からの疎外感がたまらなく辛かった。

妊娠・出産による一時的な拘束を「犠牲」と感じたんです。

妊娠してるけど、私まだまだ会社の役に立てるはず、と自分を過信して無理をした結果、「切迫早産」を招いたと今では思います。

会社は私が居なくても回るし、私の仕事をこなせる人間が、悔しいけど居るんです。

苛立ちは旦那へ

妊娠による犠牲、切迫早産による犠牲、大好きな旦那と居るのに幸せってなんだろう?

お腹の中の赤ちゃんには罪はないって知っていたんですね。

その腹立たしい気持ちは、お腹の中の赤ちゃんに言えないから、毎日のように旦那に言っていました。

「私はあなたの赤ちゃんの為に地獄をみてる」

「私の人生を返せ」

「なんで私ばっかりこんな思いをしなくてはいけないのか!」

「二人の子なのに私だけ地獄じゃん!」

そんな事を言いつつも、旦那への大好きな気持ちがしっかりあって、

分娩台で陣痛に苦しみながらも、旦那の腕にしがみつきながら「大好き」「愛してる」私は犠牲を払ってあなたの子を産むのよ!という押しつけがましい言葉を放ちながら我が子を産みました。

赤ちゃんをこの手に抱くまでは、毎日、旦那への罵声でしたが、今考えたら、そんな罵声を浴びつつも、私を支えた旦那はスゴイなぁと。

分娩台の上にて

全ては今更ですが。

母親となった今、あの時の私に言ってやりたい

切迫早産と診断されてから、「出産の決断」さえも後悔しそうだった私ですが、どんなに辛くても、終わりがあるんだという事が分かりました。

生まれた瞬間から、妊娠による一年近い地獄の拘束について愚痴らなくなりました。

地獄の妊婦生活を耐え抜き、分娩台で私のオマタから出てきた赤ん坊は、現在6歳です。

この子の為なら死ねる!という気持ち、自分より大切な存在を腕に抱いた時、入院してまで守らなくてはいけない命の重みを知りました。

命が大切である事はわかっていましたが、道徳で習ったとか、身内やペットの死に直面したとか、わかったつもりでいただけだったように思います。結局、産んだ人間が一番知ってるんですよね。

生まれてから今日まで、毎日、余すことなく幸せです。

我が子が笑う瞬間や、家族で過ごす何気ない時間がありがたく、幸せに満ち溢れています。

切迫早産で入院した事は、命の大切さを知る為のキッカケにすぎなくて、妊娠から出産までの通過地点で、切迫早産での入院は少しだけ遠回りしたってダケ。産後に、この遠回りがすごく重要だったと気づくんですよね。

切迫早産はハズレくじではなくて、神様からの危機感の足りなかった私への警告だったのだと思います。

あの時、切迫早産で地獄だと思った自分に教えてやりたい。

キラキラして眩しい幸せがその先には待ってるよ!って

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